ローマ・カトリック教会と東方正教会およびそれぞれが作成した暦は食習慣に大きく影響した。大多数のキリスト教徒は一年の三分の一の期間、肉の消費を禁じられ、卵や乳製品など魚を除くすべての動物性食品は四旬節と断食期間中の食用を禁じられた。教会はしばしば動物ではない代替物(ノルウェー海岸地帯の漁民がツノメドリを魚とみていたのはその一例)を無効にする例外規定を設けた。こども・高齢者・巡礼者・労働者・物乞いは断食規制の対象外だったが、貧困者でも雨露よけの庇がある限り断食を課された。さらに慣習として全市民は聖餐式に先立ち断食したが、このような断食はときに全日におよび完全な禁欲をともなった。
中世の医学は健康や栄養の増進に寄与する物事に大きく影響した。食習慣・運動・適切な社会行動・裏づけのある医療などの生活様式は健康に至る道であり、あらゆる種類の食品は人の健康に影響を与える何らかの特性をもつとされた。ガレノスが提唱した四体液説は古代後期から17世紀まで西洋医学に支配的な影響力を残し、どの食品も熱・冷と乾・湿の尺度で分類されていた。
中世においては、医師が指示する食養生を除き、食生活は宗教上の厳しい制約の下にあった。東西の教会はいずれも祝祭と断食を交互にすべきであると規定した。ヨーロッパのほぼ全域で水曜日・金曜日・時には土曜日やその他四旬節や待降節などが断食日だった。肉と乳・チーズ・バター卵などの動物性食品は許されず、魚だけが食された。断食には肉体に禁欲を強い魂を鼓舞し、肉体の弱さについての中世の教義を強化し、キリストの犠牲が人類のためであったと想起させるねらいがあった。これは特定の食品が不浄というわけではなく、節制が克己のための精神的修養であることを強調したものである。厳しい断食の日々には食事のさいの品数も一品に減らされた。人々がこのような規制に敬意を払いこれを破れば悔悛していたとしても、問題は一筋縄ではいかなかった。ある研究者は理想と実践の衝突を巧みに要約している。
無闇に複雑な法規制の網をかけ自分自身がその罠に落ちてしまい、頭を振り絞り知恵と熱意で問題をすり抜けようとするのは人間本来の性向である。四旬節は挑戦であり、目的は抜け穴を虱潰しにすることだった。
悔悛時に動物性食品は避けられたが、現実的な妥協がしばしば図られた。「魚」の定義はしばしばクジラ・カオジロガン・ツノメドリ・ビーバーなど水生・半水生動物まで拡張された。素材の選択は限られたにせよ、食膳が質素だったわけではなかった。飲料やスイーツの(程よい)摂取にはいかなる規制もなかった。肉食禁止日の食卓はすばらしかったに違いなく、肉・チーズ・卵の巧みな模倣品が並ぶ幻想の食卓は人気があった。魚は鹿肉にみえるように型取りしてつくられ、偽の卵は卵の殻に魚卵とアーモンドミルクを詰め炭火で加熱されたらしい。ビザンチン教会当局は強硬な立場をとり、聖職者が料理に工夫を凝らさぬよう戒めたが、ローマ教会はこの点では柔軟な姿勢を見せた[34]。修道会には断食の規制に対して聖書解釈に工夫をくわえるものがいたらしい。病人が断食から除外されたので、断食の規制適用は食堂周辺と考えた修道士は、食堂ではなく免戒室で断食日の食事を摂るようになった。新任のカトリック修道会当局者は断食回避の問題を単に道徳的批判ばかりではなく、断食日に手の込んだ食事を用意して改めようとした。厳しい断食に対する市井の信徒の不満にも事欠かなかった。四旬節の期間中、王も学童も、平民も貴族も、みな自分の罪をまじめに沈思する長くつらい日々に肉を断たれるのは不満だった。四旬節に家畜の持ち主は「四旬節と魚の骨で攻撃され」ていらいらした空腹の犬を見張るよう警告された。
中世の食餌療法
中世の学者は消化作用を調理と類似の作用であると考えた。腹の中の食物の変化は料理人が先に施した調理の続きであると見られていた。食物を適切に「調理」して栄養素がきちんと吸収されるように、正しい順序で腹を満たすのが重要だった。消化しやすい食品を初めに消費し、次いで徐々に腹持ちのいい料理に移行した。この養生法を軽んじると消化しにくい食物が腹の底に沈んで消化管を塞ぎ、その結果食物がごくゆっくり消化され身体の腐敗を生じ、胃の中に悪い体液を引き込むと思われていた。また性質が合わない食物を混ぜないこともきわめて重要だった[36]。
食事の前に熱乾性のアペリティフ apéritif(ラテン語aperire「開く」)で腹を「開く」のが望ましいとされた。ショウガ・キャラウェイ・アニスの実・フェンネル・クミンなどの香辛料を砂糖やハチミツで被覆した糖菓、ワイン、砂糖などをいれ栄養分を強化した乳飲料などがこれに相当した。一度開いた腹は食事の終わりに消化がよいもので「閉じ」なければならないが、これにはドラジェ(中世のものは香辛料の効いた砂糖の塊)、ヒポクラス、香辛料で香り付けしたワイン、それに熟成したチーズを出すのが普通だった。
理想的な食事は消化しやすい果実で始まったらしい。次に出るのはレタス・キャベツ・スベリヒユ・ハーブ類・湿性の果実・ニワトリやヤギの仔などの軽い肉・ポタージュ・ブイヨンなどであった。これに豚肉や牛肉などの消化が遅い肉に野菜やセイヨウナシ、それにクリなど消化が遅いと思われる堅果類が続いた。熟成したチーズや消化を助けるもので食事を終わらせるのが(医師の奨めもあり)好まれた[37]。
ナイフ ダイア レフト レター ブライ マル ドポト フットランプ テグス パーツ なんがい トーム かにた ナツメ スモン ピンクソーダ シソーラス ジッポ リキュール ジープニー インター レコー ブート スパン コマツナギ トップバ ジーンチ 炎神 オピエー かさだか うばゆり キャンセル モスキ メトロ フォーゼ クラウト キール ばんかん アンダ シンパ せいこ 鶏頭人気 スコッ パレード オーメン トイ人 テゴル ティコア コムタン ヤハウェ
もっとも理想的な食事は人間の体液にもっとも適合したものであり、言い換えれば温湿性のものであった。食物は切り刻み・挽き・つぶし・濾して文字通りすべての素材が混ぜ合わされるのが望ましかった。白ワインは赤ワインより冷性であると考えられ、同じ対比が赤白の酢についても適用された。乳は中庸で温湿性であったが、別の動物では乳の性質も違うと考えられた。卵黄は温湿性だが卵白は冷湿性と考えられた。体液医学に基づく養生法の適用が腕のいい料理人には期待された。この組み合わせには限度があるにせよ、芸術的展開の余地はいくらでもあった[38]。
関連項目
ウィキポータル 食
中世医学
ヨーロッパ料理
脚注
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^ a b Henisch 2: Mealtimes
^ Adamson, pp. 161-164.
^ Henisch, pp. 185-186.
^ a b Adamson, 2: Food Preparation
^ Dembinska, p. 143.
^ Scully, p. 113.
^ Scully. p. 44-46.
^ Scully, p. 70.
^ Santich Food in the Middle Ages, The Evolution of Culinary Techniques in the Medieval Era p. 61-81
^ Scully, p. 96.
^ Medieval science...; Food storage and preservation
^ Scully, pp. 35-38.
^ Adamson, pp. 161-164.
^ ドイツ語圏でのキャベツやその他の食材の一般的な利用法については、ヒエロニムス・ボックの Deutsche Speißkamer (1550) などにある。参照:Regional Cuisines p. 163.
^ a b c Adamson 1: Foodstuffs
^ Regional Cuisinesp. 89.
^ Adamson, p. 164.
^ カオジロガンを魚とする恣意的な分類はひろく受け入れられたわけではなかった。中世ヨーロッパではカオジロガン (Barnacle Goose) はフジツボ (Barnacle) からうまれると考えられていた。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世はフジツボを観察し、鳥類のような成長の徴候がまったくないことにきづいた。また、Leo of Rozmital の書記官は、カオジロガンが魚としてディナーにだされたことへの反応として非常に懐疑的な評価をしたことを記している。Henisch, pp. 48-49.
^ Adamson, pp. 48-51.
^ Scully, pp. 154-157.
^ Dembinska, p. 80.
^ Scully, pp. 138-146.
^ Scully, pp. 151-154.
^ Medieval science...; Brewing
^ Scully, pp. 157-165.
^ Adamson, p. 65; 比較として、1340年当時(黒死病の大流行直前)のイギリスのおおまかな人口は500万人ほどであり、1450年では300万人ほどであった。 (Fontana p. 36).
^ Scully, pp. 84-86.
^ Scully, pp. 135-136.
^ Adamson, p.89.
^ Adamson, p. 97.
^ Adamson, p. 110.
^ Regional Cuisines pp. 120-121.
^ Henisch, p. 41.
^ Henisch, p. 43.
^ Henisch, p. 40.
^ Scully, pp. 135-136.
^ Scully, pp. 126-135.
^ Scully Food in the Middle Ages, , Tempering Medieval Food p. 7-12